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瑞泉寺
一年中、四季を通じて花を楽しめる寺として有名な瑞泉寺。まず『三脚・一脚使用の禁止』とあって、残念ながら撮影は難しそう。境内に入ると、まず左手にある庭が目に入る。庭の横ではのんびりと御弁当を食べてる人もいた。なんだかいい雰囲気である。突き当たりの石段を登ってゆくと、いよいよ夢想礎石の開いたと言われる庭のある本堂がある。そして中に入ると、足が止まってしまう。不思議な迫力のある庭だった。本堂の裏手には、まったく別の趣の庭がある。裏の岩山を削り取って滝、池と洞穴(?)を作ってあり、荒々しく力強い印象が強く残る。
(上)珍しい冬桜。後ろの黄色は黄葉。
(右)石畳に紅葉が映える。
12月下旬〜2月は水仙。2月の黄梅。3月の桜。4月の藤。5月は菖蒲。6月は紫陽花。秋は紅葉。
 

鎌倉ダウンタウン

紅葉の源平池。

鶴岡八幡宮
鎌倉の中心に位置する鶴岡八幡宮の起源は、1063年に源頼義が戦勝御礼のために京都の岩清水八幡宮を勧請したといわれている。その時は現在の材木座のあたりにあった。時は下って1180年の10月6日、平家打倒のため、そしてゆくゆくは武士の世を作るため、源頼朝は鎌倉に入り居を定めた。慌てたのが天皇。頼朝が天皇や公家の基盤を揺るがす新しい世を作ろうとしていることを鋭く感知すると、平家と共に頼朝討伐の大兵力を鎌倉に向けたのである。頼朝は、兵を集め決戦の準備をすると共に、八幡宮の造営を急いだ。

もともと『八幡神は、豊前(大分県)の宇佐で渡来人が奉じていた神である。奈良朝時代、奈良の都に入って、東大寺の鎮守となり、地名をとって手向山八幡宮と呼ばれ、岩清水八幡宮が造営された。・・・ 頼朝にすれば、この神は遠祖頼義以来の清和源氏の氏神なのである。』 (街道を行く・三浦半島記)頼朝は先祖の霊を弔い、勝利を祈願するために鶴岡八幡宮を創設したのだろう。最も、いまの社殿は江戸時代に再建されたもので、今では正月の初詣、花見などの人手でにぎわう観光地となっている。


頼朝の墓。

若宮大路
鶴岡八幡宮造営のとき、頼朝は大きな道路を一筋だけ作るよう命じた。鶴岡八幡宮から由比ガ浜での1.8kmの若宮大路である。路幅は(当時としては)きわめて広く、騎馬武者20騎が横並びで駆け抜けられるほどの広さがある。

その 通りの中心部にあるのが段葛(だんかずら)と呼ばれるもので、石塁を積み上げて一段高い道路を作っている。両側に桜が植えてあり、春には花見でごった返すところでもある。司馬遼太郎氏によると、頼朝は血相を変えて段蔓を作ったらしい。当時の鎌倉は伐採が進んで泥流が発生していたらしい。そのため、低地はぬかるんでいた。材木座にあった八幡宮の神を鶴丘に迎える儀式のとき、ぬかるみに足を取られないようにと作ったものだそうだ。 今は両側に食べ物屋や土産屋が軒を連ねた観光スポットとなっています。

源頼朝の墓
鎌倉の町、いや、新たな武士の世を作った源頼朝の墓が鎌倉にあります。鎌倉の奥のほうに入り、長い階段を上ると小さな墓があります。日本史を書き換えた男の墓と思うと、意外なほど質素なつくりに驚きます。訪れる人は多く、花がたくさん添えられていました。

(左)ふらりとよった鎌倉宮で見た紅葉。護良親王を祭るため明治天皇が1869年に創建した。
(上)極楽寺きり通しから鎌倉を眺める。
 

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