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京都の歴史 |
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日本の首都の歴史 日本に首都というものが建設されたのは694年の藤原京が最初だったとされている。実は、それまで日本に首都として機能した都市というものは存在しなかった。いや、そもそも都市と言う物がなかったのかもしれない。日本を統一しようとしている最中で、都市を立てる話ではなかったのかもしれない。その代わりといえば、4世紀から5世紀にかけては巨大古墳が盛んに作られていた。中には全長480メートルを超える世界最大といわれる古墳まであり、そのころの権力者の力が大きかったことがよくわかる。飛鳥時代に入ると、王権は大体確立し、また仏教が鎮護国家宗教としてもてはやされ始めた。そのため6世紀には入ると寺院が多く建立されている。昔は、こういった古墳や寺院の周りに有力者が住んでいて、その住居から直接統治したと考えられる。 689年、持統天皇は中国を真似て律令制度を施行し、国家としての体制を整えていった。このとき始めて『日本』という国号と『天皇』という称号が使われた。日本の誕生である。律令制度というのは、今でいう官僚組織を作ったようなものでしょう。そうすると官僚や組織が恒常的に一箇所に集まった場所、つまり首都が必要になった。そこで、持統天皇は藤原京の建都を行い、とうとう日本にも都市と呼べる町が出現した。 藤原京:694年に、持統天皇は藤原京に遷都した。東西2.1km、南北3.2kmの大きさを持ち、中心に宮城が位置し、東西に条坊が走り、整然と区画された日本最初の本格的都城。柿本人麻呂をはじめとする宮廷歌人たちが活躍し、華やかな文化を育んだ舞台として知られているが、わずか16年で都を平城京にゆずった。現在は、その所在地すらわからなくなり、およそ50年前から藤原京の発掘が始まっています。 平城京:710年(和銅3年)、都は藤原京から平城京へと遷された。大和三山に囲まれ手狭になった藤原京を捨て、発展する日本に対応できる都城を求めたためである。平城京は藤原京に較べて倍の規模をもっていて、また、全国に通ずる水陸交通の便も良かった。この都に金銅仏としては当時で世界最大の仏像が建設されている。752年に完成した大仏の開眼供養には、遠くインドから招待された菩提が供養を行っていて、国際色豊かな平城京をよく表している。 長岡京:784年に桓武天皇は従来の貴族勢力や寺院勢力の影響力の強い平城京を離れ、長岡京に遷都を行った。つまり日本の国力を総動員して作られた平城京は74年しか使わなかったことになる。立地は淀川水系による物資輸送の便を考慮して定められたと考えられる。長岡京に遷都はしたものの、建設はまだ途中の段階だった。しかも建設を担当していた人物が暗殺されるなど、建都は混乱を極めた。 平安京:更に追い討ちをかけるように、怨霊の祟りにより天皇の近親の病などが相次いだことにより、桓武天皇は793年にまたも新都の造営を開始、794年に遷都して平安京と命名した。最近は良く知られていることだが、都城にあたっては当時の最新科学、風水(日本では陰陽道と呼ばれる)を駆使し、万全の怨霊対策を立てた都市である。平安京に移ってからを平安時代と呼び、鎌倉幕府が出来るまでの1192年まで、約400年続いた。 藤原京から平安京に移るまでの105年間に、日本は首都を4回も変えている。いや、ここに挙げたのは主な都市だけであり、これ以外にもたくさんの都市が作られたようである。そのたびに多大な造営費と年月が費やされている。一体何故、と思うが、はっきりとした理由はわかっていない。 |
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