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嵯峨野・第三日目

小倉山の頂上から桂川を望む
第三日目
十一月二十八日

京都での二日目は嵐山・嵯峨野へ。嵯峨野は竹薮と古寺が続き、女性に人気のあるエリアだ。まずは阪急京都線に乗り、大宮駅から京福嵐山線に乗り換えた。ここから終着駅の嵐山駅で下り、まずは嵐山のエリアへ。ここは昔から景勝の地と知られ、紅葉で有名な場所だ。今日は寒気団がシベリアから降りてきたため、今年一番の冷え込みとなった。その代わり、空気が澄んで素晴らしい景色が満喫できるはず。


渡月橋近くの桂川、渡しの船、そして紅葉。渡月橋をはさんで、下流を桂川、上流を大堰川と呼ぶ。その昔、激流の桂川を角倉了以が整備して船が通れるようにした。それ以降、大堰川と呼ばれるようになったという。

嵐山付近
嵐山駅を出て、すぐのところに渡月橋がある。橋の南側を桂川、北側を大堰川と言うらしい。川の向こうにそびえたつのが嵐山。春の桜、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々の風景が楽しめる。千年以上にわたって京の人々に愛された景勝の地として有名である。なるほど、紅葉が嵐山と小倉山一杯に広がっていた。


大悲閣から眺める絶景。下を流れる大堰川、 手前の山は小倉山、その向こうに京都が広がっている。比叡山の三角の山が見える。比叡山と小倉山の間の山は衣笠で、金閣寺がある。その右の3つ(2つ?)のこぶは双ヶ丘。

大悲閣からの帰りは、渡しの船を使って大堰川を渡った。川の左側が小倉山で、紅葉で埋まっていた。この山を登った反対側には嵯峨野の古寺が並んでいる。

渡月橋から大悲閣へ
ふらふらしていると、手書きの看板が目に入った。『絶景』とか『大悲閣』とか書いてある。更に、新聞の切り抜き記事のコピーがあった。読んでみると、。一時は廃寺寸前になった大悲閣というお寺の話だった。もともとは角倉了以という人が作った寺で、彼は戦国期に数々の河川工事を行って、河川の氾濫を抑えたり、開墾事業を行ってきた人だそうだ。大堰川を作ったのも彼。人の手で作られたので、大堰川という名になった。その工事中に死んだ人々を弔うための寺が大悲閣である。ところが台風のため、お寺の建物も破壊され、誰も参拝する人もいなくなって久しくなった。が、5年程前から拝観を始めて再興をめざしている。住職や有志が集まって、自分たちの手で道を整備したりしているということである。そんな話だった。

なにやら面白そうだ。早速、行ってみることにした。桂川と嵐山にはさまれたような道を歩く。さっき見た嵐山の紅葉を、今度は下から見上げることになる。山の斜面は傾斜がきつく、薄暗い。だいたい1kmほど歩くと、嵐山温泉嵐峡館があり、そのすぐ横から大悲閣への登り道が始まっていた。100段ほどだろうか、階段を上りきると大悲閣があった。住職がすぐ出てきて、挨拶してくれた。今までのお寺とはえらい違いである。客殿にあがると、やはり住職が来て景色の説明をしてくれた。『今日は比叡山が見えますねぇ』。今朝の強い冷え込みで出ていたもやも、太陽の光で晴れ上がった。ここ最近で一番よい天気だそうだ。でも『午後になり温度があがると、また霞がでてくるんですよ』とのこと。最高の瞬間に見たけしきは、『絶景』という言葉がぴったりだった。

後日、『街道をゆく26・嵯峨散歩』を読んだら、司馬良太郎も大悲閣をたずねているのを見つけて、なんだかうれしくなってしまった。芭蕉も来ていたらしく、

        『花の山 二町のぼれば 大悲閣』

という句が残っているらしい。山道の入り口にある道標に記してある。僕は見落としたようだ。


祇王寺にある小さな庭。実に味がある。が、この小さなお寺に人が充満していた。こうなると味わうような気分ではなくなるのが残念。

二尊寺
釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祭っているところから、この名がある。『紅葉の美しさは格別』とガイドブックにあったが、ここも紅葉はほぼ終わり、人手だけがにぎわっていた。藤原定家が『百人一首』を選定した場所もあり、じっくり見ると味わい深いお寺だと思われる。

祇王寺
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり』で始まる平家物語にでてくる小寺。平清盛の寵愛を失った祇王が余生を送ったお寺だそうである。竹薮に囲まれた小さな庭と、苔むした小さな庵が、味わい深い。


大沢池近くの竹薮を歩く。

嵯峨野を歩く
祇王寺や二尊寺のあたりには竹細工や焼き物などの雅趣豊かな土産屋が点在していた。祇王寺から大沢池に向かって歩るくと、田園ののどかな風景が続いていた。このあたりは北嵯峨野として知られており、もう人はほとんどいない。その昔は、景勝の地として、別荘を立てたり、あるいは隠棲の地として、風雅な遊びが催された土地だそうである。今見る嵯峨野は、平安朝の公家たちの見た風景と余り変わっていないようである。今でも、愛宕道の桜、大沢池の観月、嵯峨野の虫撰び、などなど楽しめる。

大沢池に出る。嵯峨天皇が造営した日本最古の林泉だそうだ。春は湖畔の桜、夏は水面の水練の花、秋は紅葉に名月、冬は山々の雪景色を写す水面が美しい、と四季折々の趣があるとのこと。今回の紅葉はほぼ終わり、冬支度の最中であった。ふと見ると、滝の後があった。『滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なお聞こえけれ』と藤原公任が詠んだ滝だそうである。大沢池のすぐ横には大覚寺がある。南北朝時代に、南朝の御所をここに置いたので、南朝は大覚寺統と呼ばれるようになった。

ここから道がわからなくなった。もっとも北に山並みが続いているので、方向は迷わない。しばらく農道を歩いていると、広沢池に出た。池の水はほとんどなく、水鳥がのんびりと歩いていた。年に一度、池の水を抜いて清掃をするそうで、ちょうどその時期にあたってしまったようである。


清水の舞台と紅葉。この向こうは京の夜景が見える。舞台の上にいるたくさんの人が見える。白いのは写真のフラッシュ。美しい風景を撮りたいのだろうが、フラッシュをたいても夜景は取れない。三脚は夜景を撮るには必需品でした。

夜の清水寺
何千人、いや、何万人(?)もの参拝客が列をなして清水寺へと入ってゆく。この寺はこれだけの人を収容できるほどの規模がある。拡声器で、『暗いので気をつけてください』と何度も叫んでいる。うるさいぐらいだが、前に事故でもあったのだろう。ライトアップされてるとはいえ、足元は暗い。更にこれだけの人手、何か起きたら大変な事故になるのは確かだ。それにしてもうるさいねぇと思いつつ人の流れについてゆき、いくつもの建物の脇を通ると、清水の舞台のある本堂に出た。ここも大変な人手で、木造建築がこれだけの人数を支えられるのかと驚くばかり。しかし、一番の景色は、ここからさらに歩いたところにある千手堂から見た景色であろう。清水の舞台と紅葉がライトアップされ、その向こうに京の夜景が広がる。

見所はこれだけではなかった。帰りは本堂の手前で階段を降り、音羽ノ滝へ向かった。この滝の水を飲むと、ご利益があるという言い伝えで、こちらも人手でごった返していた。滝は3筋あり、一つ一つ霊験が異なる。が、全部飲むと帳消しになるという話。僕は、それよりライトアップされた紅葉に目が行く。よさげな茶屋もあり、風情がある。小さな池があり、鏡のような水面に紅葉と三重の塔が映っていた。誰もが足を止めては、歓声をあげていた。

清水寺は、その周りも大変風情がある。紫式部もおまいりしたという話で、平安のころから観光(?)のメッカ(?)として人気があったという話らしい。清水坂は俗すぎるが、三年坂、二年坂を通るみちは歴史を感じさせてくれる町並みが残っている。夜通ると人通りが少なく、更に良かった。

清水寺周辺の塔

(左)湖面に映る清水寺の三重の塔と紅葉。

(右)清水坂、三年坂、そして二年坂を通り、そこから八坂の塔へと向かった。真っ暗な塔がほんのりと夜空に浮かぶ。石畳がいい味を出してます。

 
 

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