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東山・第二日目

紅葉が素晴らしい東福寺の庭園
第二日目
十一月二十七日
奈良を朝早く出発し、京都は東山を中心に朝10時から回った。

赤と黄色、どちらを向いても、写真になる。そんな紅葉の下を歩いたのは始めて。
東福寺
宿の人に勧められて紅葉で有名な興福寺へと、まずは向かった。京阪本線の東福寺駅から歩いて5分のところにある。ガイドブックには静かな散策の楽しめる穴場とあるが、駅からずっと人が続いている。寺のすぐ横に小さな渓谷(洗玉澗という)があり、木の橋で渡る。渓谷の一面が紅葉で埋め尽くされていた。多少色あせていたので、最盛時にはさぞやと思わせる。拝観したのは、開山堂の庭園、それと紅葉で埋め尽くされた洗玉澗。開山道の庭園は小さいが名園。とは言うものの、これだけの人が小さな庭に押し込まれると鑑賞するのは難しい。人ごみをかき分けるようにして、洗玉澗へ。こちらも人は多いが、開放感があり、ほっとできた。洗玉澗周りの紅葉は終わりに近かったが、十分見ごたえのある紅葉があちらこちらに残っていた。

清水坂から三年坂へと入る。人通りも少なく、いい雰囲気の通りだった。

清水寺から産寧坂(三年坂)・二年坂を歩く
有名な清水寺は夜のライトアップに行くことにして、そのまま三年坂・二年坂へと入り高台寺へと向かった。石畳と石坂の続く道は、両側にお土産屋、茶店、料理屋などが並ぶ落ちついた雰囲気である。修学旅行生であふれた清水坂とは大違いである。清水寺の南にあった子安塔にお参りに行く道にあるところからつけられた名だと言われている。それが転じて三年坂になったらしい。こういう遊びはいかにも京都らしい感じがする。


三年坂沿いにあった古いお店。白い傘が目立つ。

二年坂から『ねねの道』に自然と入る。秀吉公の正室、北の政所にちなんだ名前である。こちらも石畳の落ち着いた雰囲気の通りである。高台寺の前を通るが、夜のライトアップショーを見ることにして次へと急いだ。そこから円山公園を抜けると、知恩院の三門前に出る。日本一の大きさを誇る三門の上に上ることが出来ると後から聞いた。今でも山門の上から見る京都の町は絶景と言うに値する、と宿の人は言っていた。(その昔、石川五右衛門が『絶景かな』と言ったことで有名なのは、南禅寺の三門であった。間違ってはいけない。)


永観堂の庭園でお茶を飲む拝観客。

疎水運河
更に進むと、町並みは現代へと戻る。すぐに疎水運河へと出た。明治27年に竣工し、発電、水上輸送のために、琵琶湖から京都へと水を引いた名残である。途中、運河が切れて鉄道に変わる。水路が急すぎて船が航行できないため、この部分だけ船を船台に載せて移動させていたらしい。昔は大変なことをしていたものだ。

そこから南禅寺へ向かう。ここは臨済宗南禅寺派の総本山で、京都五山の上位の寺だそうである。どういう意味かはよくわからないが、えらいお寺名感じがする。この三門に石川五右衛門が住んでいて、『一目千両とは小せえ小せえ、俺の目からは、一目万両、万々両、はてうららかな眺めじゃなぁ』と言うのは歌舞伎の話だそうである。

永観堂(禅林寺)
浄土宗西山禅林寺派の総本山で、入り口に『もみじの永観堂』と書いてあったので、つい入ってしまった。この寺に幼稚園があるのだが、その裏の紅葉はすごかった。こんなところで遊べる幼稚園児はうらやましい、とも思った。が、こんなに見物人がいてはいやだろうな、とも思ったのも確か。本尊阿弥陀如来像は『見返りの阿弥陀』と呼ばれ、首を左に見返す姿をしている珍しい尊像ということであったが、時間がなかったので次回に回すことに。全般に永観堂の紅葉は盛りをすぎていたのが残念であった。


銀閣の目の前に広がる錦鏡池。後ろにある銀閣は観音殿とも言われる。

哲学の道
永観堂から若王子神社へ向かう途中で、哲学の道へ出る。ここから銀閣寺まで約2kmの距離を疎水沿いに歩く。春には桜、秋なら紅葉で有名。近くには京都大学、同志社大学、立命館大学などがあり、学者、学生が思索しながら歩いた道だ。

銀閣寺(慈照寺)
室町幕府第八代将軍、足利義政が作った銀閣。日本人の『わび・さび』を知りたいなら銀閣寺を訪れるのが一番と思う。床の間、畳などを使った書院風のつくりは、数百年にわたり日本式住居の模範となった。さて、寺に入ると右側に、すまなさそうに立っているのが銀閣だった。目立たず、ひっそりと、錦鏡池を見下ろす二層の建物。それより江戸期に追加されたという銀沙灘(ぎんしゃだん)の方に目が行く。ここの庭小さいながらも、素晴らしい造形で、適度な紅葉がアクセントをつけていた。天下第一の名園と言われるのもうなずける。銀閣の上から見るこの庭の風景も、さぞかし風情があるのだろう。銀閣は東を向いているので、朝に良い写真が取れるはず。今回は午後の逆光のため良い写真は取れなかった。

室町幕府第8代将軍足利義政が作った銀閣は、どうしても第3代将軍足利義満が作った金閣と較べたくなる。両方とも室町幕府将軍だが、2人の性格も境遇も、そして出来た寺院の雰囲気も正反対だから面白い。義政は室町幕府衰退の原因を作った人といえるだろう。政治が嫌いで、決断出来ず、風流な芸術に逃げ込んだ。京都市内を舞台にして応仁の乱が起きたとき、見ず知らずを決め込んで京都御所に逃げ込み、毎日歌って暮らしていたというから政治嫌いにも筋金が通っている。おかげで京の町は、ほぼ壊滅状態になり、寺院のほとんどが焼け落ちた。だから今の京都にあるお寺のほぼ全てはその後に再建されたものである。京の人は、今でも、『あの戦乱』というと応仁の乱のことを指す。第2次世界大戦ではない。そんな義政が、人生の最後を過ごすため、大嫌いな政治から逃げ出すために、情熱全てを傾けて銀閣寺。でも、お金がないので規模も小さく、そして銀閣自体も完成したのは義政の死後であったそうだ。

(左)銀閣から少し歩くと、小さな山を登る。紅葉のトンネルをくぐるように小道を行く。

(上)銀閣の二階。

 

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