銀閣の目の前に広がる錦鏡池。後ろにある銀閣は観音殿とも言われる。
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哲学の道
永観堂から若王子神社へ向かう途中で、哲学の道へ出る。ここから銀閣寺まで約2kmの距離を疎水沿いに歩く。春には桜、秋なら紅葉で有名。近くには京都大学、同志社大学、立命館大学などがあり、学者、学生が思索しながら歩いた道だ。
銀閣寺(慈照寺)
室町幕府第八代将軍、足利義政が作った銀閣。日本人の『わび・さび』を知りたいなら銀閣寺を訪れるのが一番と思う。床の間、畳などを使った書院風のつくりは、数百年にわたり日本式住居の模範となった。さて、寺に入ると右側に、すまなさそうに立っているのが銀閣だった。目立たず、ひっそりと、錦鏡池を見下ろす二層の建物。それより江戸期に追加されたという銀沙灘(ぎんしゃだん)の方に目が行く。ここの庭小さいながらも、素晴らしい造形で、適度な紅葉がアクセントをつけていた。天下第一の名園と言われるのもうなずける。銀閣の上から見るこの庭の風景も、さぞかし風情があるのだろう。銀閣は東を向いているので、朝に良い写真が取れるはず。今回は午後の逆光のため良い写真は取れなかった。
室町幕府第8代将軍足利義政が作った銀閣は、どうしても第3代将軍足利義満が作った金閣と較べたくなる。両方とも室町幕府将軍だが、2人の性格も境遇も、そして出来た寺院の雰囲気も正反対だから面白い。義政は室町幕府衰退の原因を作った人といえるだろう。政治が嫌いで、決断出来ず、風流な芸術に逃げ込んだ。京都市内を舞台にして応仁の乱が起きたとき、見ず知らずを決め込んで京都御所に逃げ込み、毎日歌って暮らしていたというから政治嫌いにも筋金が通っている。おかげで京の町は、ほぼ壊滅状態になり、寺院のほとんどが焼け落ちた。だから今の京都にあるお寺のほぼ全てはその後に再建されたものである。京の人は、今でも、『あの戦乱』というと応仁の乱のことを指す。第2次世界大戦ではない。そんな義政が、人生の最後を過ごすため、大嫌いな政治から逃げ出すために、情熱全てを傾けて銀閣寺。でも、お金がないので規模も小さく、そして銀閣自体も完成したのは義政の死後であったそうだ。
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